人間家畜化の弊害

では人間が家畜化してどの様な弊害があるのか考えてみたい。

何か現代社会はいいことづくめの様に感じている方も多いと思うが果たしてどうだろう、スマホがありSNSで誰とでもすぐ繋がり巨大な都市が形成され、食べること、遊ぶこと、快適な環境で住まうこと、好きなファッションに身を包み、自由に交通機関を利用して移動できる夢の様な世界なんじゃないか?   一体何が悪いと言うんだと家畜化された人間は思うだろう。

しかしよく考えてみるがいい。世界中で戦争やテロが勃発し、いつ巻き込まれるかわからない、さらに異常気象における風水害、さらに身近なことをよく考えてみるがいい。原始的な生活をしている人には起こらないアレルギーや病気、癌や認知症やアルツハイマー、さらに原因不明の病気で多くの人が苦しみ、最後はベットに縛り付けられ紙おむつをして死んでゆく、まさに人生の最後に待っているのは地獄である。自分の死さえも自分で決められない。まさに家畜そのものである。野生動物はその時が来たのを悟って静かに消えていく。

 

人間が不幸になる世界はいつも家畜化された人間が関係していた

身近な所で第2次世界対戦を思い出してみるがいい。戦前の日本人が家畜化されている人間が少なければ戦争も起こらなかったろう。誰もが権力に疑問を持ち自分の考えを述べていれば日本はまとまらなかっただろうし、戦争に反対する意見も珍重されただろう。一部の報道に惑わされすぐそれに乗っかるのが家畜化された人間のやることである。国と国との戦いは個人にとっては意味をなさない。オリンピックもW杯も野生動物の精神を持つ人間には意味を持たない、勝とうが負けようがどっちでもいい事である、野生動物の精神を持つ人間は自分や家族が外敵から守れて、食料が確保できればそれでいいのである。ただ侵略されないような設備や機構を十分に持っていればいいのである。そして地球上の人間が全て野生動物化すればそれさえ必要なくなる。地球から供給される食料に見合う人間のみ生き残り他の野生動物と共存すれば穏やかな時代が迎えられるだろう。早く人類は悟るべきだ。

 

家畜化された会社の悲劇

ある豆腐や納豆を製造する会社の話をしよう。

小さな豆腐屋さんが大手のスーパーが近くに出来て豆腐を卸すようになった、販売量は桁違いに大きくなりとても現在の設備では間に合わず、銀行から借金して会社を大きくした。当然そのスーパーからの注文を見込んでの話だ。注文は順調にきてほぼ90パーセントそのスーパーからのものであった。あるときそのスーパーからセールで目玉商品にするので今まで100円で下ろしていた豆腐を50円で卸すように言われた。セールだけのことと思い赤字覚悟で卸した。当然他のメーカーも入っているので他のメーカーも追従した。セールが終わったので豆腐を卸す価格を100円に引き上げると他のメーカーは50円で卸すので100にするならいらないと言われた。借金もたくさん残っているのでスーパーから取引を中止されれば倒産である。原材料の材質を落とし、従業員に長時間労働をさせ自らも奴隷のようになって働いている。家畜化した人間の悲劇である。餌の大半をスーパーに頼ったのが間違いの元である。多く販路を広げる努力を怠り、安易な考えで借金をした、まさに家畜の所業である。野生動物の精神があれば借金をする前にスーパーという巨大権力に疑問を持ったであろう。