人間の家畜化

人間は自主的に家畜化する動物だという研究がなされている。現状はどうなのか、どのような弊害があるのか調べてみたい。

人に野生動物のような生き方をしたいか、それとも家畜やペットのような人生を送りたいかを聞くと、ほとんどの人は野生動物のような自由な人生を送りたいと言うだろう。しかし現実は違う、生まれてくる時は何も知らない野生動物として生まれて来るが、学校教育を受ける中で家畜化され社会に適応する様に教育され、ルールを守って生きる様に教え込まれる。それ自体は悪いことではないしある程度必要だと思う。しかし個人が家畜化されながら生きていることを認識しているか、何の認識もしていないかではその後の人生が違う。家畜化された人生とはまさに学校教育に何の疑問も感じず、社会に出た後もそのままの意識で人生を送ることである。

男と女ではどう違うだろう、私の見たところは男の方がよりひどい、女は出産という行為の中で一度リセットされるのかも知れない。

以上のことについて色々考察しどの様な人生が理想的か考えていきたい。

以下のコーナーではペットも家畜と同類に一括りにして考えています。

 

野生動物と家畜の違い

端的に言って野生動物は自分で餌を探さなければいけないし、自分を外敵から守るのも自分である。家畜は餌は与えられるし、外敵からも守ってもらえる。

誰が考えても家畜としていきていく方がいいだろう。人間の自己家畜化とはそんな理由から始まったのかも知れない。

当然野生動物と家畜では体型も違うし、骨量、筋肉量も違う、何日も餌にありつけなくてもいきていけるだけの体質も違う、頭の中もまるっきり違うだろう。一番の違いは一番の違いは誰のために働くかである、野生のライオンは餌を取る時以外は働かない、家畜は自分の意思とは関係なく人間によって働かされる。働きたくないという意思は通用しない。

 

自己家畜化する人間

学校で教育を受けるにつけ人間は多くの人と協調していきていける様な社会性を学ぶ、協調していけない者は社会性不適格者人間として弾き出される。不適格者が野生動物と言っている訳ではない。不適格者だって自分て餌を探し外敵から身を守るものでなければ、立派な家畜である。学校を卒業するときに家畜として生きる人間と野生動物の精神で生きていく人間に分かれるが、その後も野生化するチャンスは幾度か訪れるが自己家畜化する人間は見向きもせず家畜として楽な人生を歩んでいく。大企業に就職したり、公務員などは家畜化しなければ生きていけない世界である。学校の教師なども典型的な家畜である。

 

 

親による子供の家畜化

子供が家畜化された典型的な例は引きこもりである。子供が引きこもる場合親も家畜化されているのが普通である。野生動物の場合子供が成長すると親は子供の面倒を見ない、餌を探すのも外敵から身を守るのも全て子供自身でやらなければならない。家畜化されている親にはそれができない。ましていい歳しても家から出ていかない子供に自分の老後を見てくれるかもしれないなどとやましい心を持つようになる、そんな親を見て子供も家畜化する。家畜化された動物は檻に入れるよりも檻から出す方が難しいと言われるように、引きこもって家から出ない。100パーセント親の責任である。多分その親の親も家畜化されていたのだろう。